2016-12-27 Tue
12月25日日曜日、軽井沢大賀ホールで鈴木雅明指揮の「メサイヤ」を観劇。2016年はそろそろ終わりに近づいているが、今年の軽井沢は特別の年だ。そもそも軽井沢を発見した牧師アレキサンダー•・クロフト・•ショーが初めて軽井沢に現われて130年、そして彼の生誕から170周年でもある。ヘンデルのオラトリオは全曲演奏。洋楽に詳しくない自分がコメントする筋合いでは無いが、さすがよい音響で知られた大賀ホール。全体的に素晴らしかったと思う。しかし驚いたことが2つ。
実は使用されていた歌詞は全部英語だったこと。そして途中それがはっきりわからなかったこと。僕のような「英語屋」がこのお粗末。しかし手元に案内でもない限りなかなか聞き取れないのがこのような音楽で、帰りにやっと手に入れた英語歌詞を見てあっと驚いた。誤解の理由の一つには先入観がある。つまり、 さぞこのような曲はドイツ語であろう、など。もう一つは歌詞が古い英語であった事。キング・ジェイムス聖書のような古い訳を使ったと思われる。特徴としてYouの代わりにTheeとかThouが使われているなど。しかし、はっきり分からないにしても英語のように思ったところが数か所あった。これが面白いのだけれど、途中で聞こえてきた言葉。Peace on earth など。そしてさらにHe was despised。このくだりでははっと思った。キリストは当時の人たちから蔑まれたと言うことが歌われているのだ。しかし何度も繰り返されてやっとわかったのである。引き伸ばされると現在の英語とは違って聞こえる。そして関連で分かった事。どうやらオラトリオなどというものの歌詞の特徴は何度も同じことを繰り返していること。考えたらハレルヤも何度も繰り返されていた。それは感動的な場面ではあった。
そしてもう一つ驚いた事。観客の中の数名がまさにそのハレルヤが繰り返されるの聞いて立ち上がったこと。しかも胸に手をあてながら。なるほど、これは宗教音楽だから、そういうこともあるのだ。しかし、これはクリスチャンの数名の人が感極まって立ち上がったのか、それとも本来は立ち上がるのが決まり事なのか。誰かを教えてほしいものだ。アメリカでは国旗掲揚、国歌斉唱の時に皆立ち上がり胸に手をあてる約束になっている。同じようなことがハレルヤの感動的な場面では必然とされるのだろうか。しかしほとんどの人は普段着の人たちばかり。座ったままだった。僕などはクリスチャンでもないのにネクタイをはめてきたのだが、普段着の日本と高尚な西洋の宗教音楽が結びついたひとこまは確かに軽井沢130年を記念すべき光景ではあった。
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