2012-08-05 Sun
対馬のご縁 ― 津島恵子さんと豊田家 『清そな演技で映画「七人の侍」など日本映画の数々の名作に出演、テレビドラマでも活躍した女優の津島恵子さんが、胃がんのため今月1日、東京都内の病院で亡くなりました。86歳でした。』と携帯にNHKの速報が入っていた。
若い人は知らないかもしれないが、ある年齢以上の人ならだれでも知っている大女優だ。
子供のころ映画ロケ中の津島恵子さんを見たことがある。本郷西片町の戦火を免れた陸橋の上で、出征する息子を見送る母親の役を演じていたが、橋の上に再現された戦前の一こまに目を見張った。私の父は戦死したので他人事とは思えなかった。
ご冥福を祈る。
ところで、ご縁は実はもっと深い。なにしろ彼女は豊田の遠縁なのだ。
津島さんの実家は倉成と言って対馬の名家だが、祖父豊田福太郎も同じ対馬厳原の生まれで、倉成家とは遠縁であった。津島という名前は出身地の対馬にちなんでつけられたということは、亡くなった伯父豊田泉太郎から聞かされた。 余談だが、父方の伯母、叔母は皆整った二重まぶたの美人で、写真の津島さんにとてもよく似ている。
津島さんのデビュー作は1947年の松竹映画「安城家の舞踊会」。原節子主演、先日亡くなった新藤兼人脚本執筆、と映画史に残る名作だが、伯父は関係者と知り合いであったため遠縁で美人の津島さんを紹介したとも、付き添いとしてスタジオに行ったとも聞かされたことがある。
すべての関係者が亡くなってしまった今、詳細は確認の術もない。
ところで、不勉強な私が今このブログを書くなかで遅ればせながら理解したことは、この映画が伯父にとってはなはだ皮肉な内容の作品であったことだ。
「安城家の舞踊会」はチェーホフの「桜の園」を基にしている、とあるが、伯父はちょうどこのころ戦前祖父が築いた朝鮮半島の資産を一挙に失ったはずである。遠縁のよしみで、はからずも資産家の没落がテーマのこの映画にかかわることになったとは、まさに「人生の皮肉」の一コマではある。
戦前の伯父泉太郎は作家堀辰夫とも親交のある、詩人阿比留信であった。伯父について、また祖父福太郎と朝鮮半島の豊田の遺産についてもいずれ書くことがあろう。
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