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Author:okitot
短波時代の英語アナウンサー。NHKの国際放送ラジオジャパンで25年間ほどニュースを読んでいました。そのご縁で現在NHK World TVインターネット放送のHP更新のお手伝いをしています。

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軽井沢大賀ホールクリスマスデー
12月25日日曜日、軽井沢大賀ホールで鈴木雅明指揮の「メサイヤ」を観劇。2016年はそろそろ終わりに近づいているが、今年の軽井沢は特別の年だ。そもそも軽井沢を発見した牧師アレキサンダー•・クロフト・•ショーが初めて軽井沢に現われて130年、そして彼の生誕から170周年でもある。ヘンデルのオラトリオは全曲演奏。洋楽に詳しくない自分がコメントする筋合いでは無いが、さすがよい音響で知られた大賀ホール。全体的に素晴らしかったと思う。
しかし驚いたことが2つ。
実は使用されていた歌詞は全部英語だったこと。そして途中それがはっきりわからなかったこと。僕のような「英語屋」がこのお粗末。しかし手元に案内でもない限りなかなか聞き取れないのがこのような音楽で、帰りにやっと手に入れた英語歌詞を見てあっと驚いた。誤解の理由の一つには先入観がある。つまり、 さぞこのような曲はドイツ語であろう、など。もう一つは歌詞が古い英語であった事。キング・ジェイムス聖書のような古い訳を使ったと思われる。特徴としてYouの代わりにTheeとかThouが使われているなど。しかし、はっきり分からないにしても英語のように思ったところが数か所あった。これが面白いのだけれど、途中で聞こえてきた言葉。Peace on earth など。そしてさらにHe was despised。このくだりでははっと思った。キリストは当時の人たちから蔑まれたと言うことが歌われているのだ。しかし何度も繰り返されてやっとわかったのである。引き伸ばされると現在の英語とは違って聞こえる。そして関連で分かった事。どうやらオラトリオなどというものの歌詞の特徴は何度も同じことを繰り返していること。考えたらハレルヤも何度も繰り返されていた。それは感動的な場面ではあった。
そしてもう一つ驚いた事。観客の中の数名がまさにそのハレルヤが繰り返されるの聞いて立ち上がったこと。しかも胸に手をあてながら。なるほど、これは宗教音楽だから、そういうこともあるのだ。しかし、これはクリスチャンの数名の人が感極まって立ち上がったのか、それとも本来は立ち上がるのが決まり事なのか。誰かを教えてほしいものだ。アメリカでは国旗掲揚、国歌斉唱の時に皆立ち上がり胸に手をあてる約束になっている。同じようなことがハレルヤの感動的な場面では必然とされるのだろうか。しかしほとんどの人は普段着の人たちばかり。座ったままだった。僕などはクリスチャンでもないのにネクタイをはめてきたのだが、普段着の日本と高尚な西洋の宗教音楽が結びついたひとこまは確かに軽井沢130年を記念すべき光景ではあった。

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テーマ:合唱団 - ジャンル:音楽

日記 | 18:54:05 | トラックバック(0) | コメント(0)
父豊田栄次郎の沖縄からの手紙
今日は特別の日です。戦死した、父豊田栄次郎が沖縄から母へ書き送った手紙をアマゾンの電子書籍として出版する事が出来ました。
 
父と母が結婚したのは、太平洋戦争も終わりに近い、昭和十九年一月。すでにシンガポールで足を負傷していた父には二度の出征はないはずでしたが、戦争が熾烈さを加える中、半年にして再び召集され、沖縄に赴任しました。新婚早々にして父母は別れ別れになり、生きて再び会うことはありませんでした。
 
そのような緊迫した状況の下にも関わらず、父は遥か東京の新妻と生まれ来る子を思いやる気持ちを、淡々とそして愛を込めて書き綴っています。70年近い歳月が過ぎましたが、この機会に亡き父の手紙を読み直すことができ、まさに感慨無量です。

今、この平和な日本に暮らせる幸せを、父よ、そして母よ有難う。

この本には、甲府からの第一信から翌年三月十一日付けの最後の手紙、そして母の母へ当てたもの一通が収録してあります。

アマゾンの 電子書籍は「沖縄より愛を込めて〜戦場からの手紙」として出版しました。

未分類 | 22:18:45 | トラックバック(0) | コメント(0)
対馬のご縁 ― 津島恵子さんと豊田家
対馬のご縁 ― 津島恵子さんと豊田家

『清そな演技で映画「七人の侍」など日本映画の数々の名作に出演、テレビドラマでも活躍した女優の津島恵子さんが、胃がんのため今月1日、東京都内の病院で亡くなりました。86歳でした。』と携帯にNHKの速報が入っていた。

若い人は知らないかもしれないが、ある年齢以上の人ならだれでも知っている大女優だ。

子供のころ映画ロケ中の津島恵子さんを見たことがある。本郷西片町の戦火を免れた陸橋の上で、出征する息子を見送る母親の役を演じていたが、橋の上に再現された戦前の一こまに目を見張った。私の父は戦死したので他人事とは思えなかった。

ご冥福を祈る。

ところで、ご縁は実はもっと深い。なにしろ彼女は豊田の遠縁なのだ。

津島さんの実家は倉成と言って対馬の名家だが、祖父豊田福太郎も同じ対馬厳原の生まれで、倉成家とは遠縁であった。津島という名前は出身地の対馬にちなんでつけられたということは、亡くなった伯父豊田泉太郎から聞かされた。 余談だが、父方の伯母、叔母は皆整った二重まぶたの美人で、写真の津島さんにとてもよく似ている。

津島さんのデビュー作は1947年の松竹映画「安城家の舞踊会」。原節子主演、先日亡くなった新藤兼人脚本執筆、と映画史に残る名作だが、伯父は関係者と知り合いであったため遠縁で美人の津島さんを紹介したとも、付き添いとしてスタジオに行ったとも聞かされたことがある。

すべての関係者が亡くなってしまった今、詳細は確認の術もない。

ところで、不勉強な私が今このブログを書くなかで遅ればせながら理解したことは、この映画が伯父にとってはなはだ皮肉な内容の作品であったことだ。

「安城家の舞踊会」はチェーホフの「桜の園」を基にしている、とあるが、伯父はちょうどこのころ戦前祖父が築いた朝鮮半島の資産を一挙に失ったはずである。遠縁のよしみで、はからずも資産家の没落がテーマのこの映画にかかわることになったとは、まさに「人生の皮肉」の一コマではある。

戦前の伯父泉太郎は作家堀辰夫とも親交のある、詩人阿比留信であった。伯父について、また祖父福太郎と朝鮮半島の豊田の遺産についてもいずれ書くことがあろう。


未分類 | 16:00:32 | トラックバック(0) | コメント(0)
母のNoritake
母のノリタケ


ロスアンジェルスで亡くなった母が遺したNoritakeの8点ディナーセットを最近処分した。

勿論ゴミにしたのではない。近くの骨董品屋に引き取ってもらったのである。

1958年、戦争未亡人だった母は、当時聖路加病院でタイピストとして生計を立てる間に知り合ったアメリカ軍人と再婚、最初は日本に残しておかれるはずだった私も共にアメリカに渡ることになった。忘れもしない移民のパスポートだった。

もう帰ってこられないだろうという想定の元に記念にと思ったのか、あるいはアメリカでよほど豪勢な生活が待ちかまえていると勘違いしたのか、本当のことはわからないが、思い出の品として買い求めたのがこのセットだった。

アメリカ各地、そしてさらに当時の西ドイツまで40数年、母と一緒に転々とした食器だったが、私の記憶する限り一度として8点を使う正餐は、開かれなかった。陸軍軍曹の家庭とは無縁の食器だった。

2004年母が亡くなった後、何を持ち帰ろうかということになったが、ノリタケの名前を見て家内が異常な興味を示し、ほかのものは捨ててもこれは持ち帰ろうということになった。家内はこのセットをいわゆる「オールドノリタケ」だと思ったらしく、引っ越し屋に頼んで梱包してもらったところ数万円はかかった。

折角日本に里帰りした数少ない母の想いのこもった遺品として、私はずっと手元においておきたかったのだが、「今の家を引き払って介護の直前まで住める小さなマンションに入りたい」という家内の希望で、引っ越すことになった。ずっと家内の敷地でヤドカリ生活を送ってきた私としては徹底的に反対する理由もない。

思い出の食器も処分することになったが、ノリタケのホームページを見ても情報は容易に得られず、一度見てもらおうということになった。ところが、出張鑑定してくれた骨董品屋がつけた値段は何とセットで1万円。家内も拍子抜けした様子で、「高く売れたら海外旅行に行こう」などと調子の良いことを言った自分も恥ずかしい。さて、どうしたものか。

しかし、ここで骨董屋の主人曰く、この手のセットは何も8点で売る必要はない。思い出の品なら2点を自分で持っていて、残りを手放せば良いではないかという。さすがプロ。

8人のディナーなど年金生活者のわれわれは恐らく永久に開くことはないだろう。ただただ持っているくらいなら、誰かこのようなセットに興味のある人の手元に渡った方がよほど良い。引き取ってもらった後、自分で選んだペアは夫婦で毎日使い、せいぜい母のことを思い出してやろう。そう考えたら大分すっきりした。

あのノリタケもう誰かの手にわたったのだろうか。

この文章を書いた日は母の日。5月17日は母の命日。2004年に亡くなったのだから、もう丸7年になる。

母の思い出は尽きない。


未分類 | 23:40:43 | トラックバック(0) | コメント(0)
「東京ローズのアナウンス」
「東京ローズ」はどんな英語でアナウンスしたのだろうか。

NHKラジオ国際放送「ラジオジャパン」の英語アナウンサーだった私は、今でも英語アナウンス、つまり英語の発音、発声そしていわゆるプレゼンテーションに興味がある。「東京ローズ」として歴史に名を残すアイバ・トグリはオンエアでどのような英語を話したのだろうか。

勿論出身がロスアンジェルスのアイバの英語がネーティブの英語であることに間違いはない。しかし「ローズ」はバラであるから、さぞかぐわしく美しい英語でアナウンスしただろうと思うと、残念ながら事実はそうではなかった。

ワシントンDCにマスターが残っていてインターネット上で今でも聞くことができる「東京ローズ」の音声は短波放送の雑音を差っぴいても特に上品ではない。日本訛りが有るという人もいるが、私の耳にはむしろロスアンジェルスの普通の英語に聞こえる。洗練されたアナウンサーの英語ではない。むしろ気になるのは声の質そのもので、こちらはしゃがれた「だみ声」である。数少ないラジオ東京時代を知る職場の大先輩(私の国際局欧米部時代の上司で、目をつぶって聴いていると英国紳士がしゃべっているとしか思えないQueen's Englishを話す水庭進氏)は、アイバのアナウンスを全く評価していない。水庭さんはかねがね「東京ローズ」は全く別人だと言って来た。

歴史上の「東京ローズ」ことアイバ・トグリは勿論カリフォルニア大学ロスアンジェルス校の卒業生だったし、「医者になる夢を持って」UCLA大学院修士課程に進んだほどの優等生ではあったが、まれに見る悪声であり、当時抜群に英語が出来る日本人、あるいは素晴らしい発音発声の日系人が担当するアナウンス業務を任されるような人材ではなかった。

そもそもなぜ本来タイピストとして採用されたアイバがアナウンサーというラジオがまだ最先端のメディアであった当時の花形稼業に抜擢されたのだろう。

それは、企画されていた「ゼロアワー」、つまり「突撃の時間」、という物騒なタイトルの番組をパロディー化して日本の軍部が当初目的としていたで戦意喪失の意図をを中和しようという考えから生まれた配役だったからである。

台本とアナウンスをまかされていたオーストラリア人捕虜で、名アナウンサーの誉れの高いカズンズ少佐が、しり込みするアイバに「私に任せてくれ、決してアメリカに逆らうようなことはさせない」、と言ったというのは有名な話である。二重の意味を持つ内容は日本人には分からないようにカズンズが書き、その二枚舌の放送を担当したのがアイバだったということになる。カズンズ少佐にしてみれば、必要だったのは日本国籍の優秀なアナウンスが出来る女性ではなく、声もアナウンス技術も劣っていても自分の「たくらみ」に協力してくれるアメリカ籍を放棄しなかったアイバのような女性だった。

また実はあまり本来のアナウンス力が必要な仕事でもなかったのだ。彼女の役割は基本的には「ゼロアワー」の音楽紹介役。今なら砕けた調子が売り物のデスクジョッキーだった。台本には(今でもそうだが)アナウンサー読みのパートはAnn.と書く。これは"announcer"の略称でしかないのだが、彼女の場合この名前が彼女の番組での名前となった。

アンといえば「赤毛のアン」が思い浮かぶが、実際にはアメリカで当時人気の連載漫画"Orphan Annie"、つまり主人公で孤児のアニーの名前がそのイメージではないだろうか。はからずもこの名前は遠くアメリカの家族を離れ、太平洋の果て日本に「彷徨う」アイバの境遇と一致するものであったが、基本的にはありふれた女性の名前であり、出発点では名前などないも同然の役だったのである。

「東京ローズ」のアナウンスの話に戻ろう。

短波放送には高めの女性の声が良いという定説がある。その伝で行くとアイバの声は全く向いていないことになるが、日本人の女性には普通ない悪声が、欧米人にはhusky、つまり一種セクシーで魅力的な声に聞こえたという可能性もないことはない。しかし、「ゼロアワー」のアンが真に「東京ローズ」であったか否か。

「東京ローズ」として名乗り出たアイバ以外にも女性アナはいた。話を複雑にすることになるが、厳密に言うと「ゼロアワー」のアナウンスを担当していたのは「スペシャル・フィーチャー・ユニット」といわれるいわば番組部門であり、ラジオ東京には他に「英語アナウンサー」と呼ばれる人たちがいた。今の言葉で言うと「局アナ」だろうか。そのうち女性は1945年8月15日現在の名簿には5名。(このあたりは別の職場の先輩、北山節郎著「ラジオトウキョウⅢ、敗戦への道」に詳しい。)その中でローズの名にふさわしい女性アナウンサーは一人しかいないとアナウンスの大先輩、水庭進はいう。幼少時カナダバンクーバーに住んでいた日本人女性、ジューン須山芳枝であるというのである。

「テレ朝」が終戦記念特集として放送した番組では彼女を含む女性アナの声が最新のIT技術で復元され、「これこそがあの美しいアナウンスだ。この世でもう一度聴けるとは思わなかった」と感激する先輩の姿があった。

歴史に「東京ローズ」として名を残したアイバ・トグリのアナウンスはその名に値せず、真の「東京ローズ」は格調高いカナダ英語でアナウンスしたジューン須山芳枝であったということになる。



未分類 | 00:04:38 | トラックバック(0) | コメント(0)
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